龍虎城 (りゅうこじょう) (財部城・北俣城)
所在地 鹿児島県曽於市財部町北俣 2018.12.14
龍虎城 (りゅうこじょう) (財部城・北俣城)
所在地 鹿児島県曽於市財部町北俣 2018.12.14
説明板
登城ルート(緑線は車道)
二の丸・右奥が池ノ上城
本丸・忠霊塔
本丸・空堀・中城
中城・招魂碑
中城東側階段・標柱・説明板
復元門
龍虎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 曽於市財部町市街地を望む西側丘陵に築かれている。
本丸・中城・池ノ上城は城山公園として整備されている。二の丸は、運動公園となり消滅し、桜城は駐車場西側の台地で「ふれあい広場」となっている。
本丸には忠霊塔・中城には招魂碑が建てられ、その間に橋の架けられた空堀が残り、東側の入口に門が復元されている。
【案内】 県道2号線より城山公園に向かい運動公園南側の駐車場が利用できる[マップコード216 508 614*27]。こちらからは、運動公園(二の丸)を横切って北東に行く。
或は東側の入口より復元門を潜って堀道を行き、池ノ上城の手前に駐車できる。
本丸(忠霊塔のある所)と中ノ城と間に空堀があり、連絡用橋が架けられている。
【歴史】 築城年代は特定できないが、財部六郎正信によって築城された。面積は約8haで、12の砦から成るという。
その後、北郷氏、新納氏らの居城となったが、天文七年(1537年)北郷忠相によって奪還された。
その後、島津領国内の配置転換によって、北郷氏は、都城から薩摩国宮之城へ転封となり、龍虎城には伊集院氏が入城した。
慶長四年(1599年)都之城城主・伊集院忠棟入道幸侃(こうかん)が島津忠恒(後の家久)に京都で殺され、その子・源次郎忠真(ただざね)は父の仇討ちと、島津氏に戦いを挑んだ。
これが慶長四年から五年にかけて起きた「庄内の乱」である。時の龍虎城主は忠真の甥・伊集院甚吉で、島津勢の攻撃に耐え落城せず、徳川家康の命で降伏させられた。
元和元年(1615年)の一国一城令により廃城となった。