福本陣屋 (ふくもとじんや)
所在地 兵庫県神崎郡神河町福本528−6 2019.10.26
福本陣屋 (ふくもとじんや)
所在地 兵庫県神崎郡神河町福本528−6 2019.10.26
陣屋説明板
神崎高校(藩校跡)
石碑
御殿跡に建つ 大歳神社
回遊式庭園
福本陣屋跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 福本陣屋跡には大歳神社が建てられているが、南側に池田家回遊式庭園が保存されている。
大歳神社前の通りは大名町通りと呼ばれ、左右に武家屋敷が並んでいたというが、現在は民家や空き地となっている。
【案内】 国道312号線「神崎高校前」交差点より東に行った大歳神社鳥居横に「福本藩陣屋 御屋敷跡」の石碑が建てられている。鳥居右側の葬祭場駐車場が利用できる[マップコード491 198 455*62]。
藩校「乾々館」の跡地に神崎高校が建てられている。
【歴史】 池田輝澄(池田輝政の4男)は、山崎藩主として6万8千石を領していたが、寛永十七年(1640年)御家騒動により改易となり、鳥取藩主池田光仲にお預けとなって因幡国鹿野に堪忍料1万石を与えられていた。
寛文二年(1662年)輝澄が没し、子の政直は神崎郡・印南郡内に1万石が与えられ大名に復し、翌年、福本藩を立藩し陣屋が置かれた。
1万石を領して大名となった福本藩池田氏(松平氏)であったが、寛文五年(1665年)政直が嗣子なく没した。遺領は弟政武に7千石、弟政済に3千石に分割され、旗本となった。
政武は交代寄合になり、そのまま福本陣屋を居所とした。貞享四年(1687年)政武が没すると、家督を継いだ政森は次男政親に1千石を分知したため、6千石の交代寄合となった。以後、3家とも明治維新まで存続した。
安政二年(1855年)7代池田喜通は家臣の子弟を教育するため、藩校「乾々館」を開設した。明治二年に8代藩主徳潤は「時習館」と改称した。
慶応四年(1868年)六月池田喜通の時、鳥取藩蔵米3,500石を与えられ、高直しにより1万573石となり再び諸侯に列したが、明治三年(1870年)十一月に鳥取藩に併合され廃藩となった。
大正二年(1913年)大歳神社が福本字山根から陣屋跡地に移された。