田尾城 (たおじょう) (多尾城・白地山城)
最寄地 徳島県三好市山城町黒川490 2014.9.14 2020.2.5
田尾城 (たおじょう) (多尾城・白地山城)
最寄地 徳島県三好市山城町黒川490 2014.9.14 2020.2.5
登城ルート(緑線は車道/緑丸は南城/赤丸は北城)
登り口の冠木門・城址碑
堀切
南城跡
北側1番目の堀切
北側3番目の堀切
北城南側の段差
田尾城 南城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【案内・感想】 国道319号線の政友ダムの先の店舗「もりもと」より南に約1.7㎞行くと三叉路に「田尾城跡」の標識がある[マップコード207 448 764*31](地図)。
そこより橋を渡って左折し、表記番地横を通って東に約1㎞登った峠に1台分の駐車スペースがある[マップコード207 448 764*31](地図)。冠木門が復元され、城址碑が建てられている。
道路反対側の南に石段や石積の「長宗我部元親の指揮所」がある。
北に登ると空堀を経て虎落(もがり)、狭間(はざま)、柵などが設けられ、虎口を登ると、約461m比高約60mの山頂の南の頂上に東西21m南北18mの田尾城跡(南城跡)があり北端に天神社が建てられている。土塁が一周に亘って残っている。
北側のトイレ脇から下ると、堀切が3条残っており、そこから岩の多い尾根が続いている。その先に標高462mの北城がある(地図)。北城は南北に細長く、南側に段差が認められ、北側に一段下がって腰郭がある。
三好市指定史跡となっている。
【歴史】 延元二年(1337年)北朝方の細川頼春の侵攻に対して、池田城の小笠原義盛は南朝方に味方し戦ったが、敗れ和議を結んだ。
長男の小笠原頼清は節を曲げず、讃岐に侵攻してきた南朝方の山岳武士集団の脇屋義助と呼応して田尾城を築き八石城と連携した。
天正年間初期、白地城主であった覚養(覚用)は、長宗我部元親の侵攻を防ぐために砦の田尾城を改修し、弟である大西頼信(13歳)を城主とした。
天正五年(1577年)、長宗我部元親の3千の兵に二日間攻められたが、守将寺野源左衛門武次は兵三百と共に猛反撃を行った。力攻めでは落せないと考えた元親は、夜陰に乗じて山に火を放ち落城させた。