門川城 (かどかわじょう)
最寄地 宮崎県東臼杵郡門川町門川尾末5980 2016.5.14
門川城 (かどかわじょう)
最寄地 宮崎県東臼杵郡門川町門川尾末5980 2016.5.14
説明板
登城ルート(緑線は車道)
入口・説明板
空堀・土橋
2郭跡
主郭石垣
主郭跡
門川城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道388号線より左折したところに道標がある[マップコード136 466 669*27] 。
100mほど行った表記番地の手前に入口があり、説明板が建てられている[マップコード136 466 757*41](地図) 。
入口より少し行くと空堀跡があり畑となっている。右側の高台が3郭で、果樹園となっている。土橋を通って少し登ると、2郭がある。右手より登ると鬱蒼とした主郭があり、東側に石垣が残っている。
【歴史】 中世に日向一円を支配した伊東氏の城の一つで、天正年間(1573~)には米良四郎右衛門が城主であった。
米良四郎右衛門は天正六年(1578年)大友氏と島津氏が争った高城の戦いで戦死した。その後門川は島津氏の支配下となったと思われる。
天正十五年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐によって門川一帯は延岡領となった。
慶長二十年(1615年)徳川幕府の一国一城令が出され、門川城も廃城となった。『門川町教育委員会説明板』より。