鹿屋城 (かのやじょう) (亀鶴城)
最寄地 鹿児島県鹿屋市北田町11−6 2018.12.14
鹿屋城 (かのやじょう) (亀鶴城)
最寄地 鹿児島県鹿屋市北田町11−6 2018.12.14
登城ルート
鹿屋城址碑・空堀
中城(公園)
二の丸・亀鶴城趾碑
二の丸
本丸北の空堀
本丸・貯水池
鹿屋城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 東の肝属川と西の下谷川とに挟まれた火山灰台地に築かれている。
城郭は本丸(貯水池)、二の丸(城山公園)、中城(城山公園)、松尾城(幼稚園・老人福祉センター)、大明城、今城、取添城などから構成される。
通路となった空堀や土塁が各所に見られ、特に二の丸は公園として整備されており、眺望もよく桜が植えられている。石垣は最近のものと思われる。
【案内】 国道269号線の「鹿屋市保健相談センター」(表記番地)の東に城山公園駐車場が用意されている[マップコード170 791 266*67](地図)。
駐車場が水堀の跡で、北に中城があり、公園となっており土塁が見られる。その西側道路横に説明板が建てられている。
北の堀道入口に「鹿屋城址」の石碑があり、直進すると二の丸に着く。二の丸入口に「亀鶴城趾」の石碑が建てられ、石垣のある3段の郭が雛段状に並び、土塁が見られる。
戻って、市道の少し北の空堀跡を東に行き、右に折返し登ってゆくと、虎口があり広い本丸に着く。北側に土塁が残り、草が多いが、南側にフエンスで囲まれた貯水池がある。
松尾城は「地域活動支援センターあすなろ」の向い側の空き地で、土塁が見られる。
【歴史】 『古城主由来記』に「島津久経時代津野四郎兵衛 鹿屋城主」とあることから、おおよそ鎌倉時代の承久年間(1219~22年)頃と思われる。(承久は早すぎ、島津久経は1225年に生まれているので、早くても元服した1240年以降が妥当)。
もっとも津野氏の拠った鹿屋城というのがこの城址であったのか、また肝付氏一族萩原氏、鹿屋氏の居城であったのかはっきり断定できない。
その後は、鹿屋氏の居城となった。鹿屋氏没落後、天正八年(1580年)から伊集院忠棟が15年間居城した。文禄四年(1595年)忠棟が都城に転封後、島津相模守久信が一時居城し、その後廃城となった。『鹿屋市教育委員会説明板』より。