園部城 (そのべじょう) (薗部城・園部陣屋)
所在地 京都府南丹市園部町小桜町97 2013.9.6
園部城 (そのべじょう) (薗部城・園部陣屋)
所在地 京都府南丹市園部町小桜町97 2013.9.6
城址碑・説明板
櫓門・園部高校校門
巽櫓
小麦山頂上
園部城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 本丸跡は園部高校(表記番地)の敷地となっており、園部高校の東側に城址碑、校門として使われている櫓門、校庭隅に巽櫓が残っている。
園部公園駐車場の北西に位置する比高約40mの小麦山(地図)には慶応四年(1868年)築の三層櫓があったが、現在は園部忠魂碑が建てられ、藤棚などがある公園となっている。
駐車場北に三重天守閣風の「南丹市国際交流会館」が建てられている。
【歴史】 元和五年(1619年)但馬の出石から移封となった初代園部藩主小出吉親は約2年間費やし園部城を築いた。
藩主の小出氏は外様大名ながら、二人の幕閣を輩出している。これは初代小出吉親の青年期に徳川家康の旗本であった為である。
その後十代藩主小出英尚の時に幕末を迎えるまで、250余年にわたり一度も国替えはなかった。
折しも戊辰戦争のさなか、十代英尚は明治新政府から許可を受け、慶応四年(1868年)から明治二年(1969年)にかけて櫓門、巽櫓のほか小麦山山頂に三重の櫓を築いた。
しかし明治四年(1871年)廃藩置県で園部藩は廃止され、園部県となり、明治五年(1782年)園部県も廃止され、建物のほとんどが壊された。