津村城 (つむらじょう)
最寄地 福岡県大川市大字津324 2019.12.9
津村城 (つむらじょう)
最寄地 福岡県大川市大字津324 2019.12.9
八幡神社・堀跡
東側住宅地
民家にある説明板
説明板
榎津城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 榎津城の南東約600mに位置している平城であった。大川市教育委員会の説明板によると八幡神社一帯が城跡とされている。
【案内】 大川市大字津の表記番地前に説明板が建てられている [マップコード 37 090 611*12]。少し西にある八幡神社一帯が城跡とされている(地図)。
【歴史】 大川には戦国時代、酒見・榎津・津村に城が築かれていた。
津村城に関しては、天正六年(1578年)筑後国領主付に津村大助24町所領の記録がある。
城址の位置は八幡神社近くの字城跡と云われている。
津村大助秀門は、俵藤太秀郷の正統・栗木民部大輔秀政の子孫で、右京大輔秀保の時、九州に下向し大友氏の幕下となり、津村城を築いて津村氏を称したという。
天正六年(1578年)十一月、龍造寺隆信の筑後進入で滅亡し、大助の子・秀千代は城を逃れ、浮羽郡に居住し内記と改名、内記の子を宗選仙といい、宗仙の子・三郎左衛門は再び津村に来往し庄屋となった。『現地説明板』より。