岩野嶽道祖城 (いわのだけどうそじょう)
最寄地 熊本県熊本市北区植木町岩野1596 2016.5.12
岩野嶽道祖城 (いわのだけどうそじょう)
最寄地 熊本県熊本市北区植木町岩野1596 2016.5.12
登城ルート
擁壁・入口石段
横堀・土塁
虎口・堀切
主郭跡・土塁・社
岩野嶽道祖城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 国道3号線「植木町岩野」交差点より東へ約750m行った表記番地の東に、擁壁に石段の設けられた登り口がある[マップコード29 879 034*48] 。路肩に駐車できる。
堀道を登ると、左側に竪堀がある。さらに竹林の中を登ると横堀・土塁があり虎口を登ると、標高132mの城山頂上に主郭があり、土塁上に宮が祀られている。
【歴史】 記録によれば、南北朝時代の天授年間(1375~81年)、小野良旨によって築かれたとある。この頃の城はきわめて簡単な構造であったと考えられる。
その後、宗氏が道祖城主として入城した。宗氏は託麻郡本山城(現・熊本市本山町)を預かっていたが、康正元年(1455年)益城郡の大戦で一族70人が戦死するような奮戦をしたため、時の守護・菊池 為邦が感状とともに山本郡岩野荘151町を授け、道祖城に移らせたものである。現在残る道祖城はこのころのものと考えられる。
この城跡は、城郭としての遺構を驚くほどよく残している。山頂部分を中心に山の中腹にかけて、土塁・竪堀・曲輪など大々的に施工され、特に山頂部周辺を取り巻く長い曲輪は約20段にも及び、防御態勢の完璧さを誇っている。
また城山の麓、馬場部落の中心部に、高さ2m幅3mの土塁によって正方形に囲まれた場所があり、次郎丸屋敷と呼ばれている。
ここは今日、新春・星野両家の屋敷地となっているが、土塁の西側と南側には今でも空堀の一部が残っている。
宗氏に後継が途絶えた時、守護・菊池武包の子・次郎丸に名跡を継がせているので、その館跡であろう。
この次郎丸屋敷と道祖城を含む馬場全域は更に大規模な土塁と水濠(一部は三重にも及ぶ)に取り囲まれている。
享禄四年(1531年)宗久隆退去という記事をもって道祖城の歴史の幕は下ろされるが、この時期は菊池氏の守護職廃絶の前後であり、道祖城も菊池氏とその運命を共にしたとも考えられる。情報提供:熊本市