倉吉陣屋 (くらよしじんや)
所在地 鳥取県倉吉市仲ノ町733 2015.5.16
倉吉陣屋 (くらよしじんや)
所在地 鳥取県倉吉市仲ノ町733 2015.5.16
成徳小学校
陣屋石垣
石垣(下段)・案内板
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道38号線に面した「市立成徳小学校」(表記番地)の北側に陣屋の石垣が残っており、北東角に説明板が建てられている(地図)。
観光案内所駐車場が利用できる。白壁土蔵群(倉吉市東仲町2573赤瓦三号館の東西に並ぶ)のある打吹玉川は外堀と伝えられている。
【歴史】 寛永九年(1632年)に岡山藩主池田忠雄の子池田光仲が池田光政(岡山城へ移封)と替わって鳥取城に入った。
倉吉は荒尾氏(次席家老で、池田輝正の母方に当たる。)による自分手政治の地となり、打吹山麓に陣屋(倉吉陣屋)が置かれて明治維新まで続いた。
陣屋の周囲には武家屋敷が建ち並び、その外側には町人の町が広がり、陣屋町、宿場町として栄えた。白壁土蔵群周辺な町並は往時の姿を良く留めている。
陣屋の跡地に明治六年(1873年)開蒙学校として開校、明治十一年(1878年)成徳小学校と改称された。
正門は陣屋と同じ位置にあったが、現在は石垣で塞がれている。校章は荒尾家の家紋(九曜紋)をモチーフにしている。