青景城 (あおかげじょう) (小島城)
最寄地 山口県美祢市秋芳町青景1597 2018.5.7
青景城 (あおかげじょう) (小島城)
最寄地 山口県美祢市秋芳町青景1597 2018.5.7
登城ルート(緑線は車道)
前城遠景
前城の荒神社
本城遠景
本城北の空堀
本城主郭
青景神社向いの説明板
青景城 本城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 秋芳町青景の南に突き出した標高141.6mの尾根先端部に築かれている。遺構は少ないが、本城背後の尾根に幅10mほどの空堀がある。
【案内】 県道36号線より県道239号線を約2.6㎞東へ行くと、殿河内集会所があり[マップコード243 364 752*51]、その裏山が前城で、荒神社が祀られている。
水田を挟んだ北側の山頂が本城で、西麓の表記番地先より墓地への登り口がある。墓地のすぐ上が空堀で南に郭と傾斜した主郭がある。
県道239号線を少し戻ると青景八幡宮(秋芳町青景1796−1)がある。青景八幡宮に青景氏が祀った日吉神社が合祀されており、参道向かいに「青景八幡宮と青景氏」の説明板が建てられている。
【歴史】 寿永四年(1185年)壇ノ浦の戦いで義経方に付いた藤原秀通が青景の地を賜り、地頭職となって青景氏を名乗った。
天文二十年(1551年)大内義隆が家臣陶晴賢に討たれた際、青景隆時は陶氏に与した。
その後、天文二十四年(1555年)十月、陶晴賢が厳島の戦いで毛利元就に敗れると、隆時は青景姓を廃し、この地を去った。