西条陣屋 (さいじょうじんや) (市の史跡)
所在地 愛媛県西条市明屋敷234 2018.3.5
西条陣屋 (さいじょうじんや) (市の史跡)
所在地 愛媛県西条市明屋敷234 2018.3.5
土橋・大手門
東側水堀
腰巻土塁・石碑・説明板
北御門
妙昌寺庫裡の玄関
大通寺山門
西条陣屋跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 西条市の中心部に位置し、東西約200m南北約250mの方形の敷地となっている。東側は幅約40m、南側は幅約20m、西と北は幅約8mの水堀がめぐっており、南西から北東に緩やかな流れとなっている。
敷地には高校生の学び舎や郷土博物館、五百亀記念館などが建っている。
【案内】 県立西条高等学校(表記番地)敷地となっており、東側の裁判所駐車場を利用させてもらった。周囲に水堀と石垣が残り、土塁が一部を除いて残っている。
東側の御殿前通りから土橋を渡ると、大手門(西条高等学校正門)があり土塁上に石碑、説明板が建てられている。南東側に北御門が移築されている。
また御広敷門が大通寺山門(西条市神拝甲312)に移築、西条藩政庁玄関が妙昌寺(西条市東町230)の庫裡の玄関に移築されている。
昭和三十九年(1964年)8月11日、西条市の史跡に指定された。
【歴史】 寛永十三年(1636年)伊勢神戸城主一柳直盛は、6万8千石で西条に転封になったが、赴任の途中大阪で病没した。長男直重が後を継ぎ西条に赴任し、西条陣屋を築き、城下町を開いた。直重の後を継いだ直興は寛文五年(1665年)失政などを咎められ改易となった。
その後、寛文十年(1670年)紀州から徳川頼宣の次男松平頼純が就封され、その後10代200年間松平頼英が明治二年(1869年)版籍奉還するまで西条は城下町として繁栄した。