高橋城 (たかはしじょう)
最寄地 広島県安芸高田市美土里町生田3334 2021.6.9
高橋城 (たかはしじょう)
最寄地 広島県安芸高田市美土里町生田3334 2021.6.9
登城ルート(緑線は車道)
入口・看板
2郭手前・左が主郭
2郭・木霊神社
主郭
2郭東の1、2番目の堀切
高橋城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 生田(いけだ)川に向けて北東から南西に伸びた標高約431mの尾根に築かれている。
南西側先端部に主郭があり、公園となっているようだが草茫々であまりはっきりしなかった。
北東の2郭には木霊神社が祀られ土塁の北東に深い箱堀があり、堀底は3条の堀となっている。
【案内】 国道433号線より県道6号線に入り表記番地北約150mに「高橋城跡(毛利元就の兄・興元の正室・雪の方の実家)」の看板が建てられている[マップコード322 688 070*21]。
そこより農道を北東に約400m行くと右側に溜池があり、左側に斜めに登る参道がある。池の横に駐車スペースがある。
2度折り返して登って行くと2郭に「木霊神社」があり、背後に土塁、3重堀切がある。
一方南西に登ると、公園となっている主郭があり、仏像や開園記念碑が建てられている。
【歴史】 正平六年(1352年)、高橋師光が備中松山城から石見に入部したのが、石見高橋氏の始まりとされ、その後貞光が跡を継いだ。
高橋貞光の子・高橋朝貞そしてその子・高橋久光と続いた。久光の娘・雪が毛利興元の正室となり石見高橋氏の全盛期を築き上げた。
大永三年(1523年)三月、高橋久光が3千の軍勢で加井妻城を攻めている。