鯰江城 (なまずえじょう)
所在地 滋賀県東近江市鯰江町1347 2017.1.13
鯰江城 (なまずえじょう)
所在地 滋賀県東近江市鯰江町1347 2017.1.13
説明板
城阯碑・土塁
本丸跡
本丸・社
鯰江城本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 宅地となり河原石を積んだ石垣は後世のものと思われるが、城址碑の背後に土塁が残っている。
【案内】 愛知川右岸の河岸段丘に築かれている。県道217号線北の表記番地一帯が本丸で、最高所に社が祀られている。
城跡は宅地となり、県道に面して城跡碑、説明板が建てられている[マップコード67 689 611*07] 。
【歴史】 鯰江郷の豪族鯰江氏が、荘園時代に興福寺領の被官となってこの地を治めていた。
戦国時代、佐々木六角氏の家臣となり、永禄十一年(1568年)に観音寺城の戦いで六角氏の居城である観音寺城が落城したため、城主の鯰江貞景は甲賀郡に逃げていた六角義賢・義治(義弼)父子を迎え入れ、主家復興のため織田信長に反抗を企てた。天正元年(1573年)九月、柴田勝家らの軍勢によって落城した。
落城後鯰江氏は、各地に分散し各大名に仕えたといわれる。特に、貞景の子定春は、秀吉に仕えて大阪に土地を与えられた。