柴島城 (くにじまじょう)
最寄地 大阪府大阪市東淀川区柴島2丁目19-5 2017.9.20
柴島城 (くにじまじょう)
最寄地 大阪府大阪市東淀川区柴島2丁目19-5 2017.9.20
城跡・城址碑
城址碑
柴島城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 淀川右岸の低地にあり、西側を阪急千里線が通り、阪急柴島駅の東300mほどの市街地にある。
この一角は直角に交差する狭い路地が多く、隅切りも少なく車より徒歩を勧める。
【案内】 阪急柴島駅の東より線路に沿って北東へ約100m行き、右へ約150m行き左折すると(車は厳しい)、表記番地の道路側に「柴島城址」の石碑が建てられている。
【歴史】 柴島城は三好長慶の末弟・十河一存(そごうかずまさ)が築いたのではないかと思われている。
天文十八年(1549年)六月、三好長慶軍と同族の三好政長(宗三)の間で起きた江口の戦いでは、三好政長派の細川晴賢がいる柴島城を三好長慶軍が大軍をもって攻め落城させている。
その後稲葉紀通が江口村、大道村、柴嶋村等の中島藩を領土とし、この柴島城も稲葉紀通の居城となった。
慶長二十年(1615年)五月の大坂夏の陣で、紀通は大和方面軍に組み入れられた。
元和九年(1623年)稲葉紀通は福知山藩に移封され、その後いつごろ廃城になったのかは不明である。