平松城 (ひらまつじょう)
最寄地 鹿児島県曽於市末吉町南之郷1950 2014.9.10 2018.12.14 2019.3.6
平松城 (ひらまつじょう)
最寄地 鹿児島県曽於市末吉町南之郷1950 2014.9.10 2018.12.14 2019.3.6
登城ルート(緑線は車道)
大手門口・案内板
県道横の搦手口
県道から入った空堀
2番目の内堀
3番目の内堀
帯郭・主郭切岸
主郭
城跡碑
平松城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 大淀川左岸の標高208mの北に突き出た丘陵先端部に築かれている。
全体的に鬱蒼としているが、空堀や土塁がよく残っていた。今回、主郭は見落とした。
3回目で主郭にたどり着いた。県道から空堀を通り、七曲がりの道を進むと、3重空堀が見事に残っていた。主郭からはガソリンスタンドのある県道が見えた。
【案内】 大淀川左岸丘陵にある。表記番地のガソリンスタンドより県道109号線を志布志方面へ約1㎞南に行った所に「平松城址大手門口」 の案内板が建てられている[マップコード117 156 458*54](地図)。
150mほど行くと、家畜農家の鶏舎と住宅の間に大手口の標識がある。そこより300mほど行き右側に櫓台があり、その手前に駐車できる(地図)。
南側に空堀が2条あり、西側に切岸がある。北東にも土塁付の空堀がある。
県道109号線に標識があり空堀を通って行ける(地図)。南側の左に入る道が広くそこに駐車できる[マップコード117 156 759*83]。
主郭との間には3条の連続空堀がある。帯郭を備えた主郭はよく手入れされ、石碑や説明板が建てられている。
【歴史】 詳細は不明だが、都之城の北郷氏により築城されたと云われる(別説に肝付氏による築城ともいわれる)。
平松城で2度合戦がおこなわれた。1度目は、正平十四年(1359年)、島津氏と肥後相良氏の間で争われ、島津氏は不利とみて退却した。
2度目は、天正元年(1573年)、都之城・北郷氏(ほんごうし)と高山城・肝付兼続の間で戦いが起き、肝付軍は大敗した。これ以降肝付氏の勢力は衰退し島津氏に仕えることになった。