越水城 (こしみずじょう)
最寄地 兵庫県西宮市桜谷町9‐7 2015.5.3
越水城 (こしみずじょう)
最寄地 兵庫県西宮市桜谷町9‐7 2015.5.3
説明板
大社小学校
城趾碑・説明板
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 西宮市立大社小学校(表記番地)南東角に「越水城趾」碑、説明板が建てられている(地図)。
城跡は石碑の北東100m付近とされている。
【歴史】 観応二年(1351年)足利尊氏と弟直義が戦った小清水の陣所跡である。
瓦林正頼は永正十三年(1516年)陣所跡に越水城を築いた。城山・桜谷・満池谷・清水の4町に跨り、広さは東西約100m・南北約200mで「小清水城」「越水城」と呼ばれた。
戦国時代初期、細川氏の内紛に際し、細川高国方につき、四国より京にのぼる細川澄元を迎え討って敗れ、その上、澄元に内通したとして切腹し、その後澄元の家臣三好氏が入城した。
天文二年(1533年)には瓦林氏と一向一揆が三好氏を攻めて城を奪還し瓦林氏一族が城を守った。
その後攻防が繰り返され、ついに畿内の覇者三好長慶の居城となり、家臣松永久秀を京に止めて越水城で指揮をとった。
永禄九年(1566年)時の城主篠原長房は、瓦林三河守に攻められ、一旦開城したが四日後に復活、九月には足利義親(のちの足利幕府14代将軍義栄(よしひで))が入城した。
永禄十一年に織田信長の入洛により、越水城の戦略的価値は失われた。
明治二十九年(1896年)十二月、城跡に大社尋常小学校が建てられ、大正七年(1918年)11月現在地に移転した。『西宮市教育委員会説明板』より。