荏原城 (えばらじょう) (会原城・平岡城・恵原城)
最寄地 愛媛県松山市恵原1144 2018.3.6
荏原城 (えばらじょう) (会原城・平岡城・恵原城)
最寄地 愛媛県松山市恵原1144 2018.3.6
説明板
南東水堀
土橋・土塁・城趾碑
城趾碑・説明板
郭内全景・土塁
東側土塁
荏原城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 東西約115m南北約130mの方形の平城である。周囲に高土塁と水堀がよく残っている。北西の櫓台に社が祀られている。
【案内】 県道207号線より西に行った表記番地の北に荏原城跡があり、土橋を渡って駐車できる[マップコード53 052 504*16]。土塁前に「荏原城趾」の石碑と説明板が建てられている。
昭和二十五年(1950年)10月24日、愛媛県の史跡に指定された。
【歴史】 室町時代から戦国時代にかけて伊予河野氏18将の筆頭平岡氏の居城であった。
『忽那一族軍忠次第』によると、建武二年(1335年)忽那氏が会原城で戦ったという記録があり、築城はそれ以前である。
天文二十三年(1554年)河野通宣から命を受けた荏原城主・平岡房実は主家河野氏に叛いた岩伽羅城を攻略した(天文の合戦)
土佐からの侵攻を防ぐ拠点であったが、天正十三年(1585年)平岡通倚(みちより)の時、秀吉の四国征伐により道後湯築城と共に落城した。