黒坂鏡山城 (くろさかかがみやまじょう) (黒坂城・鏡山城・黒坂陣屋)
最寄地 鳥取県日野郡日野町黒坂1109 2022.10.14
黒坂鏡山城 (くろさかかがみやまじょう) (黒坂城・鏡山城・黒坂陣屋)
最寄地 鳥取県日野郡日野町黒坂1109 2022.10.14
登城ルート(緑線は車道)
略測図
陣屋跡石垣・看板
桝形虎口・石垣
南の郭・主郭切岸
主郭・土塁
黒坂鏡山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 日野川左岸の標高約307mの山頂に築かれている。主郭は南北に細長く、破城されたものの土塁が残り、南に2段の郭があり、北側に虎口がある。
居館跡は福田氏の陣屋跡で、東斜面と桝形虎口に石垣が残っている。
【案内】 国道180号線より伯備線を渡って「日野高等学校」(表記番地)前を[マップコード418 736 638*63]、左に行くと駐車スペースがある。
グランドの南西側を登ると屋敷跡(陣屋跡)があり、石垣や井戸が残されている。
南西隅から尾根伝いに登ると、3段になった城跡がある。
【歴史】 慶長十四年(1609年)、伯耆国米子城主・中村一忠が無嗣除封された後、伯耆国は小大名によって分割支配された。
日野郡の地は伊勢国亀山より関一政が5万石で入封することとなった。関一政は黒坂の鏡山に新城を建設し城下町も整えた。
しかし元和四年(1618年)、家中不統一(世継ぎ争い)を理由に改易され、鏡山城も破城された。築城からわずか9年という短い存続期間だった。
関氏の後にこの地を支配した池田氏は鏡山城居館跡に陣屋を置き、重臣・福田氏を置いて黒坂を支配させ、幕末まで続いた。『ウイキペディア』より。