許斐山城 (このみやまじょう) (許斐岳城・許斐城)
所在地 福岡県福津市八並/宗像市王丸 2020.9.26
許斐山城 (このみやまじょう) (許斐岳城・許斐城)
所在地 福岡県福津市八並/宗像市王丸 2020.9.26
登城ルート(緑線は車道)
駐車場先の登り口
金魚池
北の堀切
櫓台・山頂標柱
本丸
宗生寺の許斐城主歴代の墓
許斐山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高200m】
【感想】 福津市八並と宗像市王丸の境にある標高270.9mの許斐山に築かれている。
山頂の櫓台に王子神社が祀られ、北側に深い堀切がよく残っている。櫓台の東側に本丸があり、そこから馬場が東へ伸びている。
南側は金魚池や平坦地があり、虎口に土塁が残っている。城跡はよく整備され迷うことはない。
【案内】 登山口は4ヶ所あるが、西麓の吉原登山口から登ってみた。
国道3号線より県道530号線に入り南へ100m行ったところから左折してゆくと、登山者用駐車場に着く[マップコード68 364 819*57]。
そこから整備された登山道が「エフエム福岡宗像中継所」と主郭の間に通じている。途中の2合目付近に大友方の武将麻生重氏の墓がある。
許斐氏の菩提寺宗生寺(宗像市大穂937)には名島城の搦手門が移築され、許斐歴代城主の墓や小早川隆景の墓がある。
【歴史】 天慶年中(938~47年)初代宗像大宮司清氏の次男氏章が許斐の姓を賜り、宗像市王丸に居住し、この時、許斐山城を築いた。
約500年後の享禄二年(1529年)宗像氏の重臣占部豊安が時の守護大名大内義隆に、久しく廃城になっていた許斐山城の再興を願い出て再築した。
弘治三年(1557年)大内氏滅亡後は、宗像氏の出城となり、立花山城の大友氏(立花氏)との合戦の場に度々なっている。
天正十五年(1587年)、名門宗像家の跡取りがなく断絶したときに、豊臣秀吉により領地没収改易となり、許斐山城も廃城となった。