布施城 (ふせじょう) (二塚城)
最寄地 奈良県葛城市寺口1203 2018.10.20
布施城 (ふせじょう) (二塚城)
最寄地 奈良県葛城市寺口1203 2018.10.20
登城ルート
東端の案内板・入口
3郭(奥が2郭)
2郭(奥が主郭)
主郭・標識
主郭背後・堀切
主郭背後・畝状竪堀
南東の段郭
南東先端の畝状竪堀
布施氏三代の墓(左から行重・行種・行国)
布施城主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高260m】
【感想】 金剛山地より東に伸びた尾根の標高460m付近に主郭があり、東に階段状の大小の郭が連なっている。中間に櫓台、深い堀切がある。
主郭の西側には、今年の台風で杉の倒木が多いが、畝状竪堀が残っている。
【案内】 県道254号線「寺口」交差点より西、二塚古墳方面を目指す。二塚古墳入口を過ぎ細い道路を約280m行くと、右側に配水施設があり、その先に駐車できる[マップコード36 519 785*58](地図)。
少し行くと獣除けフエンスがあり、約250m行き橋を渡ってすぐ右に折れる。「城跡まであと900m」の標識があり、500m地点を過ぎると案内板が建てられ、左に堀道があり、右に登ると城跡東端の段郭に着く。
6段ほど段郭を登ると、櫓台がありその西に堀切がある。そこから15段ほどの段郭を経て、3郭、2郭があり西端に主郭がある。主郭には「布施城本丸跡」の標識が建てられている。
西側に、堀切、案内板があり、その先に畝状竪堀がある(倒木多数あり)。
堀道を下ってゆくと、左側に石積みがありその先より右に登れ、6段の郭を経て下ると、北東端に畝状竪堀が残っている。
東麓の慶雲禅寺(葛城市大屋23)には布施氏三代の墓が残されている(安芸守行重・掃部頭行種・兵部頭行国)。
【歴史】 築城年代は定かではないが、大和国人衆の一人・布施氏によって築かれたと云われる。
永禄年間、布施氏は筒井氏に与し、松永久秀に攻められ筒井城を追われた筒井順慶を布施城に迎えた。その後、織田軍の支援を得た松永久秀によって布施城が攻められたが、要害のため落城することはなかった。
その後、布施氏は筒井氏の家臣になり、天正八年(1580年)に布施城は廃城となった。
天正十三年(1585年)筒井定次(順慶の養子)が伊賀上野城へ転封されると、布施氏は没落した。