久多良木城 (くたらぎじょう) (寺山城)
最寄地 熊本県八代市坂本町百済来下123 2018.5.5
久多良木城 (くたらぎじょう) (寺山城)
最寄地 熊本県八代市坂本町百済来下123 2018.5.5
登城ルート
林道入口の城跡標柱
林道横の登り口
北の郭
主郭
南 1条目の堀切
2条目の堀切・右手(西)に林道が見える
3条目の堀切
久多良木城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 坂本町百済来下の北側に突き出た標高254mの尾根先端部に築かれている。広い主郭の北に2段の郭があり、南側尾根に3重堀切がよく残っている。
当初情報がなく住民に聞いたが、城跡の存在すら認知されておらず、地蔵堂から直登したりして、林道カーブに出、南側の山頂を目指した。途中左側の尾根上の空が見え何やら凹みが見えたが通り過ぎてしまった。
一旦戻り、休憩して諦めかけていたところ、城跡標柱を見つけ、先ほどの凹みを思い出し予感がした。今度は林道から登って城跡に辿りつけた。
【案内】 県道60号線の百済来地蔵堂前を過ぎ200mほど西に行った馬場公民館に駐車でき、その西50mの表記番地民家に行く入口に城跡標柱が建てられている[マップコード372 236 130*56](地図)。
表記番地民家前の右よりコンクリート舗装林道が始まり約800m行った大きくカーブする所からが城跡である。
道路を横断する排水溝が2ヶ所あり、1本目先に斜めに登る山道があり、2本目の排水溝先より左側をよく見ると2条目の堀切が見える。
【歴史】 第26代宣化天皇の536年に芦北に国造(くにのみやつこ)が置かれ、その警護のために築かれた朝鮮式山城と云われている。
南北朝時代、名和顕興の家臣・久多良木伯耆守が城主として在城した。元中八年(1391年)七月、北朝の今川軍に敗れ、豊後方面に落ちのびた。その末裔は大分県臼杵市に在住という。
その後、天正年間(1573~92年)相良氏の家臣・深水三河守宗方休甫が水俣津奈木城の城代を兼ねた折り、この城跡に館を設けた。『標柱由来文』