目賀田城 (めかだじょう)
所在地 滋賀県愛知郡愛荘町目加田954 2016.12.23
目賀田城 (めかだじょう)
所在地 滋賀県愛知郡愛荘町目加田954 2016.12.23
説明板と城址碑
虎口と土塁
郭と土塁
目賀田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 地名は目加田で城館は目賀田城と呼ばれる。一辺約80mの方形の平城で、北東部分に比高3mほどの土塁がよく残っている。南西部分は宅地となっている。
【案内】 目加田公民館[マップコード101 073 110*66]の南側に「目賀田城跡公園」として一般開放されている。北から東にかけて土塁が残り、東側に虎口が開いている。「目賀田城址」の石碑、説明板が建てられている。
【歴史】 戦国時代、近江国守護佐々木六角氏の重臣として活躍した目賀田氏が築城したと伝えられている。
天正四年(1576年)織田信長が安土城を築くにあたり、安土山(目賀田山)に在った屋敷を目賀田貞政の所領である光明寺野(目加田)に移した。
天正十年(1582年)本能寺の変が勃発、城主堅政は明智光秀に加担した為、羽柴秀吉に所領を没収され、一族は離散し、慶長二年(1597年)廃城になったという。