仁後城 (にごじょう) (尼子城) (市の史跡)
最寄地 広島県安芸高田市高宮町船木341 2022.6.3
仁後城 (にごじょう) (尼子城) (市の史跡)
最寄地 広島県安芸高田市高宮町船木341 2022.6.3
登城ルート
北東側の橋から右へ、その先をよじ登る
2郭東の3重堀切
主郭東の大堀切
主郭
主郭西の堀切
仁後城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【感想】 生田川左岸の標高約280mの山頂を中心に築かれた東西400mに及ぶ大きな城である。
主郭は西側の山頂にあり、東に小郭、大堀切、2郭、3重堀切、細尾根、堀切と配置されている。
鬱蒼としているが主郭南から西にかけて堀切や畝状竪堀などが多用された構えとなっている。
【案内】 県道322号線の北を通る市道に説明板が建てられている[マップコード244 403 505*36](地図)。
その北背後の山が仁後城だが、民家が多く北側から登ってみた。北側の市道脇に広い駐車スペースがあり[マップコード244 404 665*05]、橋を渡って山に取りつく(地図)。
安芸高田市のどこでもそうだが、フエンスが山を取り囲み、扉を探すが見つからず、結わえた針金の少ない所から、解いて山に行った(帰りに同じところに出て、戻しておいた)。
尾根に登って、西(右)に行くと、深い堀切が現れ、更に細尾根を西に行くと3重の堀切に着く。
2郭を経て、西に大堀切があり、主郭南側に畝状竪堀や3か所の堀切があり、西端に深い堀切が残っている。
昭和六十一年(1986年)2月7日、安芸高田市の史跡に指定された。
【歴史】 江戸中期の『高田郡村々覚書』には「仁後城」と記され、城主は不明とあるが、地元では「尼子城」(あまご又はにご)という別名がある。
また、尼子方の仁後城と毛利方の牛首城とで戦が行われたという伝説がある一方で、吉舎(三次市)の和智氏の城であったという説もある。『現地説明板より』。