尾藤城 (びとうじょう)
最寄地 京都府福知山市大江町尾藤945 2019.9.19
尾藤城 (びとうじょう)
最寄地 京都府福知山市大江町尾藤945 2019.9.19
登城ルート(緑線は車道)
登り口
墓地上段を奥へ
主郭
主郭南の堀切
2郭
尾藤城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 千原城と南に向かいあった、陣取山から北へ派生した標高45mの尾根先端に築かれている。
主郭は細長く、南端に堀切がよく残っている。また主郭と逆L形に西へ段郭、2郭があり、2郭の北側に帯郭が残っている。
【案内】 県道493号線の表記番地前を右折し、南の橋を渡ると左手に説明板が建てられている。
東に200m程行くと、墓地入口がありその先に駐車できる[マップコード473 138 423*35](地図)。
徒歩で墓地へ登り、その西側より南下するとすぐ、主郭がある。
【歴史】 平将門の乱を平定した藤原秀郷の流れを汲む尾藤氏によって築かれたとされる。
延文元年(1356年)の室尾谷観音寺文書には、尾藤五郎兵衛尉光が田1反を観音寺へ寄進した記載が残る。
天正年間(1573~92年)の尾藤城主は尾藤市正政廉であった。
織田信長の命を受けた細川藤孝による天正三年(1575年)以降の丹後平定の際、攻略されたと伝えられる。