柿原城 (かきはらじょう)
最寄地 広島県安芸高田市吉田町吉田513−6 2022.6.4
柿原城 (かきはらじょう)
最寄地 広島県安芸高田市吉田町吉田513−6 2022.6.4
登城ルート
ここから入る
墓地横の堀道
主郭切岸 ・北の帯郭
主郭
2郭
柿原城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 郡山城と江の川を挟んだ東方約1kmに位置する標高約365mの山頂に築かれている。
東西2つの郭を中心に2郭西に2段、主郭北に帯郭、東に2段の郭があり、主郭から北に下る尾根に6段ほどの小郭があり先端に細長い平坦地が残っている。
【案内】 柳原神社(表記番地)の一つ西の通り横の空き地を拝借した[マップコード244 011 865*43](地図)。
住宅の間を南に行き、突き当りを右に行くと登り口がある(地図)。まっすぐ南に進むと、墓地があり堀道がある。堀道の消える辺から左斜めに進むと、谷間は草木もなく開け、沢の石が帯状に連なっており、それに沿って登る。
斜面が急になり、石が無くなる所から右の尾根に登る。この尾根に6段ほどの狭い段があり上り詰めると東側の主郭に着く。北側に帯郭が見られる。
【歴史】 江戸時代の『芸備風土記』には、「柳原柿原の両城」は陶隆房の出城とされ、『芸藩通志』では「住吉山 大元山 柿原山」が陶隆房の駐屯地とあり、どちらも天文九年(1540年)の郡山合戦時に大内氏の援軍を率いた陶隆房(晴賢)が築いた陣城と伝えられている。『安芸高田歴史紀行第49回』より。