横山城 (よこやまじょう)
最寄地 滋賀県長浜市石田町506 2016.10.25
横山城 (よこやまじょう)
最寄地 滋賀県長浜市石田町506 2016.10.25
登城ルート
登り口の標識
石田山公園
二重堀切
曲輪・土塁
主郭
横山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【感想】 姉川の南方、標高312m比高約190mの丘陵に横山城主郭がある。
当初「坂下登山口」を探していたが、大山寺跡の石碑のあるところで行き止まりとなり1時間ほど探し回った。
県道509号線の交差点に石田三成屋敷跡を発見、バス停の待合所に姉川合戦の説明板が掲示されていた。そこに横山城址の遊歩道が記されているではないか!
早速登ってみた。二の丸と思われる曲輪があり、二重堀切、主郭と並んでいる。主郭からは伊吹山が意外と近く望めた。山頂まで歩行距離1200mはあると思われる。
【案内】 県道509号線に面したシガ電子㈱(表記番地)の西に太鼓橋の架かった日吉神社参道がある[マップコード101 804 124*37]。駐車スペースは無いので東の離れた場所に路駐して歩く。
日吉神社左手に登り口がある(地図)。要所要所に案内標識があり、途中に石田山公園がある。
その先の尾根道に「城跡まであと○町」の道標が1町(109m)ごとに建てられ、迷う事はない。細長い曲輪があり、二重堀切を経て土塁の残る曲輪がある。
木道を登ると主郭がある。「横山城趾」の石碑、説明板が建てられている。主郭は展望が開け、伊吹山に連なる山々や米原の町並が望める。
【歴史】 当初京極氏の支城として築かれ、その後浅井氏の南進基地としての役割を果たした。永禄四年(1561年)、浅井長政が対六角氏の防衛拠点として改修した。城主には一門の浅井井演を任命した。
その後、浅井氏は勢力を伸張して坂田郡から犬上郡まで勢力を広げるが、元亀元年(1570年)、織田信長と交戦状態になり、再び横山城の重要性が高まった。
横山城は美濃の関ヶ原から浅井氏の本拠地小谷城の西側を通る交通の要衝の地にあり、全国平定を目指す織田信長は姻戚関係を結んでいた浅井氏の離反に脅威を抱いた。
同年六月二十八日、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破った信長はすぐさま横山城の攻略に着手、時の城主三田村国定、野村直隆、大野木秀俊らは降伏し、落城した。
信長は城番として木下秀吉を任命し、秀吉はここを拠点として浅井氏攻略を行った。
天正元年(1573年)九月に浅井氏が滅亡すると、秀吉は浅井郡・坂田郡の支配権を与えられ、本拠地として長浜城を築城した。その後、横山城は廃城となったと考えられている。