比延山城 (ひえやまじょう)
所在地 兵庫県西脇市比延町/鹿野町 2019.10.26
比延山城 (ひえやまじょう)
所在地 兵庫県西脇市比延町/鹿野町 2019.10.26
登城ルート(緑線は車道)
グランド南端中央の登り口
200m手前の堀切
南郭・城址碑
北郭虎口
北郭・三角点
比延山城 北郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【感想】 西脇市比延町と鹿野町の境にある標高286.9mの比延山頂上に築かれている。
南北約200mの2つのピークを中心に尾根を結ぶ狭い郭が並んでいるが、風化してあまりはっきりしていない。
黒田官兵衛生誕地で有名な黒田城の南7km弱に位置している。
【案内】 県道294号線より東に行った城山公園駐車場が利用できる[マップコード133 556 483*70]。出口に2枚の説明板が建てられている。
グラウンドの南端に登山道入口があり、遊歩道が整備されている。延々登ってゆくと南郭に着き、「比延山城跡」の石碑が建てられている。
尾根を北へ行くと浅い堀切を経て北の郭に着く。北郭は岩場を巧みに利用した狭い郭となっている。
【歴史】 南北朝時代、赤松氏の一族・本郷直頼にが当地に配置され本郷氏初代となった。その後、応永年間(1394~1428年)初頭に直頼の子・頼兼が比延山城を築き、比延氏を名乗った。
黒田城主2代重勝は比延頼兼の妹を妻とした。範安と続き、嘉吉の乱(1441年)で没落したが、その後、復興し実範、常範と続いた。
黒田官兵衛の父・黒田城主8代重隆は比延山城主8代常範の娘を娶った。