木村城 (きむらじょう) (県の史跡)
最寄地 広島県竹原市新庄町108 2019.12.7
木村城 (きむらじょう) (県の史跡)
最寄地 広島県竹原市新庄町108 2019.12.7
登城ルート
東麓の入口・城址碑・説明板
馬返しの段
兵糧の段・若宮神社跡
井戸の段
主郭
南尾根の1番目の堀切
木村城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高110m】
【感想】 賀茂川左岸の標高140mの山頂に築かれており、北に3段の郭があり、北東下段に馬返しの段が残っている。
井戸が跡地を含めて3本見られ、南尾根には堀切、南東斜面に畝状竪堀など、比較的良好に残っている。
【案内】 国道432号線に面した表記番地前の「小早川神社」バス停横に説明板・登山口標識が建てられており、一つ北の市道が広く路駐できる[マップコード154 752 639*40]。
そこから山裾の細い道を歩き、東麓に城跡碑、説明板が建てられている(地図)。
西に歩き、橋を渡って右に登ってゆくと、馬返しの段に出、井戸跡が残っている。
井戸の段を経て、兵糧の段があり、北側に若宮神社跡の石垣が残っている。南側に段郭、井戸の段があり、石積井戸が残っている。さらに南に主郭があり、南東に畝状竪堀、南尾根に堀切が3条見られる。
木村城と賀茂川を挟んだ向かい側に、木村城主竹原小早川家の居館と云われる手島屋敷がある。
昭和四十八年(1973年)3月28日、広島県の史跡に指定された。
【歴史】 正嘉二年(1258年)沼田小早川家茂平の4男・政景が都宇竹原庄の地頭職として来往し、木村城を築き竹原小早川家初代となった。
天文十年(1541年)尼子方の武田氏の居城佐東銀山城を元就と共に攻めていた竹原の興景が陣中で病没した。興景の夫人が元就の姪であった縁で毛利元就の3男隆景が天文十三年(1543年)12歳で竹原小早川家14代を相続し木村城に入った。
天文十九年(1550年)隆景が、沼田小早川家を相続し、本郷の高山城に移るまでの約300年間竹原小早川家の本拠として使用された。
その後も高山城、新高山城の支城として使用されたと考えられるが、廃城年は定かでない。