嵯峨山城 (さがやまじょう) (佐良山城・洲前城)
最寄地 岡山県津山市中島477−3 2020.3.14
嵯峨山城 (さがやまじょう) (佐良山城・洲前城)
最寄地 岡山県津山市中島477−3 2020.3.14
登城ルート(緑線は車道)
案内標識
北側帯郭の休憩所
主郭・標柱・佐良山碑(左)
帯郭・土塁
南東連続竪堀
嵯峨山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 吉井川右岸の嵯峨山(288.6m)北に派生した標高約267mの山頂に築かれている。主郭周囲に帯郭が廻らされ、一部土塁も残っている。
南尾根側に横堀が残り、南東に連続竪堀がよく残っている。城跡からは吉井川や津山市街が望める。
【案内】 国道53号線より狭い道を西に行った、「津山医療生協職員駐車場」を利用させてもらった[マップコード153 461 583*08]。周辺は道が狭く、駐車できるところはほとんどない。
西へ道なりに行くと、表記番地手前の林道入口に「嵯峨山城・佐良山碑」の案内標識がある(地図)。約300m西の分岐を右へ行く(地図)。
約700m行くと「希望の道」の標識のある城跡下に着き、右に登ってゆくと、四阿のある帯郭に着く。
平成十八年(2006年)10月26日、佐良山碑と共に城跡が津山市の重要文化財に指定された。
【歴史】 赤松則村の4代の孫・赤松孫三郎教弘によって築かれたと云われる。
天文年間(1532~55年)出雲の尼子経久の軍勢が美作に侵攻した時、尼子氏に属した錦織利路が在城していた。
永禄年間(1558~70年)、毛利氏の支配下にあり、元亀年間(1570~73年)には宇喜多直家の家臣の荒神山城主・花房職秀によって攻められ、落城した。その後宇喜多氏の臣・河端秀家が在城した。