若桜鬼ヶ城 (わかさおにがじょう) (鬼ヶ城・若桜城) (国の史跡)
所在地 鳥取県八頭郡若桜町若桜788‐3 2013.10.14
若桜鬼ヶ城 (わかさおにがじょう) (鬼ヶ城・若桜城) (国の史跡)
所在地 鳥取県八頭郡若桜町若桜788‐3 2013.10.14
登城ルート
登り口
石垣
二の丸跡・城跡碑
本丸・天守台石垣
天守台
若桜鬼ヶ城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高250m】
【案内・感想】 国道29号線「若桜」交差点を西に行って県道176号線を南に175mの交差点を西へ行くとすぐ、「若桜町民体育館」(表記番地)がある。その東に駐車出来、標識と登山口がある[マップコード709 303 458*87](地図)。
約1㎞の道を一旦西へ行き、やがて南の山頂を目指す。標高446m(比高約250m)の鶴尾山山頂部に本丸があり、石垣が一部崩れて残っている。
東に一段下がって二の丸跡があり「若桜鬼ヶ城跡」の石碑が建てられている。
尾根部分に曲輪群を設け、堀切がある。天守台から東に盆地にひっそりと広がる若桜の町並が見える。
又、今回利用しなかったが若桜小学校(若桜町若桜501)横より西へ1㎞行き左折、弁財天の先の林道「城山線」を2㎞ほど登ると、本丸南の駐車場に着く。
平成二十年(2008年)3月28日、国の史跡に指定された。
【歴史】 国人・矢部氏によって築かれたと云われている中世古城部と、木下重堅・山崎氏時代の近世主要部と分けられ、中世城郭と石垣で作られた近世城郭の両方の遺構が残っている。
また、主要部の石垣には元和三年(1617年)の破城の形跡が見られ各所で崩れた石垣が確認される。
戦国期は尼子・毛利・織田などの有力大名が重要拠点であったこの地を巡って、激しい攻防を繰り広げた。
羽柴秀吉に従った八木城主・八木豊信は因幡攻めに参戦し、天正八年(1580年)五月二十一日鳥取城攻城の拠点として八木豊信は若桜鬼ヶ城に入り守備していた。
しかし、天正九年(1581年)三月十八日鳥取城に吉川経家が入城すると、吉川元春は活気づき巻き返し、若桜鬼ヶ城を攻城し、八木豊信は支えきれず但馬国へ退却した。
羽柴秀吉による因幡平定後は木下重堅が城主となった。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで三田城主・山崎家盛は西軍に加担したため、当城へ移された。
その後池田光政が鳥取城に入り、元和元年(1615年)の一国一城令によって元和三年(1617年)廃城となった。