亀井城 (かめいじょう)
所在地 熊本県熊本市北区清水亀井町50-25 2017.5.11
亀井城 (かめいじょう)
所在地 熊本県熊本市北区清水亀井町50-25 2017.5.11
光照寺山門
縄張り図
石垣碑
山門西の石垣
光照寺本堂
本堂西
亀井城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 坪井川の東の台地にあり、光照寺境内となっている。本堂は平成28年(2016年)4月14日夜と16日未明に起きた熊本地震で損傷していた(少年時代過ごした我が家も半壊となったが)。
【案内】 県道37号線より熊本電鉄菊地線踏切を渡った右側に駐車スペースがある[マップコード29 611 268*52]。
光照寺(表記番地)の山門西の民家側に石垣が残っている(断って撮影)。本堂西側に土塁らしき高まりが見られた。
【歴史】 築城時期は定かでないが、この地の豪族亀井氏の居城であった。
戦国時代、亀井氏は豊後の大友氏と結んで菊地氏と対立していた。菊池義武は隈本城(熊本城の前身)を攻め、更に周囲の各城を攻めた。
天文十九年(1550年)五月五日、亀井城でも戦いがあり、城主亀井若狭守光総(みつふさ)は流れ矢で討死し、落城した。このためこの地では端午の節句でチマキを作らない風習が伝わっている。
数か月後大友氏などにより、菊地氏は肥後を追われこの領地は回復された。光総の子吾助は菩提を弔うため、出家し城跡に一寺を建てた。これが光照寺の始まりである。