東山城 (ひがしやまじょう) (城山) (町の史跡)
最寄地 徳島県三好郡東みよし町昼間3790−1 2017.9.23
東山城 (ひがしやまじょう) (城山) (町の史跡)
最寄地 徳島県三好郡東みよし町昼間3790−1 2017.9.23
登城ルート(緑線は車道)
林道横の登り口・標識
南東空堀
主郭・櫓台
東側横堀
北側空堀
北側2条目の空堀
東山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高260m】
【感想】 吉野川北の標高401mの山頂にあり、南5.5㎞の八石城と対を成し吉野川の抑えとして南朝方の新田氏一族により築かれたという。
大きな空堀を巡らし、特に北は2重となっている。草茫々ではっきり写らないが、土塁も残っている。
【案内】 県道4号線の橋を渡った交差点を右に600m余行き左に550mほど登ると、未舗装林道入口がある[マップコード357 763 178*00](地図)。入口手前の車道に路駐できる。
民家、墓地の左を通って450mほど登ると舗装された林道に出、左(西)へ100mほど下ると、写真の登り口がある。
右斜めに登り200mほど行き、建物の見える手前に「←東山城址」の道標があり、ほとんど真っ直ぐ延々と登ってゆく。
物見に四阿があり説明板が掲示されている。少し登ると、「東山城空堀配置図」が建てられ、堀切があり、上段に南北に細長い主郭がある。主郭には木製の城址標柱があり、北に土塁(櫓台)があり、祠が祀られている。
北に2重の空堀があり、東側に回り込んでいる。西に帯郭がある。
平成四年(1992年)3月30日、東みよし町の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代(1340年頃)、八石城と共に吉野川南北の抑えとして、南朝方の新田氏一族により築かれたといわれる。
戦国時代、大西備中守元武が拠ったと云われ、天正五年(1577年)長宗我部元親との戦いで落城し、元武は逃走中討たれたという。