一之森城 (いちのもりじょう)
所在地 愛媛県宇和島市三間町是延 2021.3. 7
一之森城 (いちのもりじょう)
所在地 愛媛県宇和島市三間町是延 2021.3. 7
登城ルート 墓地から登る
墓地から登る
南東の堀切
南東上段の郭
幅広の堀
南東の郭・主郭切岸
主郭・西側土塁
一之森城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 登り口は鬼北町西仲にあるが、城跡は宇和島市三間町是延の標高266mの山頂に築かれている。
主郭は広く西側に土塁が残り、南東に階段状の郭がよく残っており、特に幅広の堀は見応えがある。
【案内】 県道57号線より北に少し行くと左に公園がありそこに駐車できる[マップコード176 377 152*70]。
そこから橋を渡り堤防を北東に270m程歩くと墓地入口がある(地図)。墓地の道を抜けるとはっきりした山道が北西に伸びており、堀切を経て3段の郭がある。その先に幅広の堀があり、南東の郭を経て最高所に主郭がある。主郭は広く西側に伸びており土塁も残っている。主郭の北と西側に平坦地がある。
【歴史】 永徳元年(1381年)頃に竹林院公明が宇和郡に移り、以降竹林院氏が居城とした。
1441年の嘉吉の乱の際には、赤松満祐を討つため竹林院氏は立間公広とともに播磨国に出兵している。
しかし室町時代後期になると勢力が衰え、戦国時代末期には土佐一条氏や長宗我部氏から侵攻を受けた。
天正十一年(1583年)長宗我部元親の部将・久武親直が一之森城に兵糧攻めを行い、西園寺十五将の一人で城主・竹林院実親は降伏して城を離れた。その後、竹林院氏は近くの村に居住していたという。