筒ヶ嶽城 (つつがたけじょう)
最寄地 熊本県荒尾市平山298-37 2016.5.12
筒ヶ嶽城 (つつがたけじょう)
最寄地 熊本県荒尾市平山298-37 2016.5.12
登城ルート(緑線は車道)
登り口
主郭石垣
主郭跡・説明板
2郭跡・巨石
2-3郭堀切
3郭跡
3郭南堀切
主郭北東の4-5郭間堀切
5郭
筒ヶ嶽城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高240m】
【案内・感想】 「小代神社」(表記番地)より東へ500mほど行き、T字路を右折し林道を約1.7km行くと「針の耳登り口」の標識が建てられ、5台ほど駐車可である[マップコード 69 227 756*73 ](地図)。
東に尾根伝いに登ってゆく。15分ほど登ると「針の耳」と呼ばれる岩場がある。岩の間を通って、更に10分登ると「くじら石」があり、5分登ると堀切が2条残り、やがて「←筒ヶ岳・観音岳→」の道標の建つ分岐に着く。途中の岩場に祠がある。
左に登ると間もなく、石垣のある主郭石段に着く(所要時間35分)。標高501m比高約240mの筒ヶ岳山頂の主郭には「九州自然歩道」の説明板、「筒ヶ岳城跡」碑、祠がある。
主郭の南に2郭があり、井戸の蓋石とされる巨石が残る。その南に堀切を挟んで石段のある3郭がある。3郭は細長く広く、南に仏蔵が祀られている。その南に3条の堀切が残っている。
一方、主郭の北東に下ると馬場跡のような細長い郭があり、一段高く4郭、堀切、5郭と並んでいる。
【歴史】 宝治元年(1247年)武蔵国(現埼玉県)児玉党の鎌倉幕府の御家人小代(しょうだい)重康は「宝治合戦(三浦氏の乱)」の戦功を賞されて、野原荘地頭職を賜った。この時は現地に赴かず、地頭代に所領の管理を任せていた。
文永八年(1271年)幕府から蒙古襲来に備えるため、また領内の争いを治めるため、重俊の子息等は野原荘へ行くことを命じられ、一族は移り住んだ。その後、筒ヶ岳に築城し、南西麓に里城・梅尾城を築いた。
小代氏は13代小代親泰までの340年余にわたり、荒尾を統治した。その間、海軍力を背景に遠く中国沿岸までも、貿易をしていたと云われている。