陣の森城 (じんのもりじょう) (徳島館・小路館)(くうじやかた)
最寄地 佐賀県小城市芦刈町芦溝694 2020.3.8
陣の森城 (じんのもりじょう) (徳島館・小路館)(くうじやかた)
最寄地 佐賀県小城市芦刈町芦溝694 2020.3.8
説明板
説明板
福田寺・徳島家の墓
陣の森城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 小城市芦刈町芦溝の田圃の一角に説明板が建てられているのみで。圃場整備のため遺構は消滅している。
【案内】 小城市芦刈町芦溝の表記番地の道路向かいに説明板が建てられている[マップコード87 250 239*07]。
北西約300mの福田寺(芦刈町芦溝807)は徳島氏の菩提寺である。
【歴史】 九州千葉氏の一族である徳島氏は永正年間(1504~21年)芦刈町の浜中と小路(陣の森)に館を築き、代々城主を務めた。徳島氏は千葉氏の後に龍造寺氏・鍋島氏に仕えた。
徳島孫八郎盛秀は、永禄五年(1562年)西肥前の有馬氏と大村氏が佐賀に攻め込んだ時(丹坂峠の合戦)、盛秀は龍造寺軍の先鋒として柳鶴(小城市牛津町)で奮戦した。
また、元亀元年(1570年)豊後の大友氏が佐賀に攻め込んできた時、龍造寺氏の家臣鍋島直茂に従って、大友軍の本陣今山(佐賀市大和町)に奇襲をかけ大友軍を撃ち破った(今山の合戦)。
その後、鍋島勝茂が初代佐賀藩主となり、その子元茂が小城藩を創設すると、徳島一族は元茂の家臣となり小城に居住した。