尾関山城 (おぜきやまじょう) (三次城・積山城・小丸積山城)
所在地 広島県三次市三次町 2019.5.1
尾関山城 (おぜきやまじょう) (三次城・積山城・小丸積山城)
所在地 広島県三次市三次町 2019.5.1
阿久利姫像
本丸
展望台
浅野長治公の坐像
尾関山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高40m】
【感想】 城跡は尾関山公園として整備され、市民の憩いの場となっている。本丸は芝生広場となり、西側に屋根付きステージがあり、最高所には展望台が建てられ切岸に崩れた石積が見られる。北側に腰郭がある。
【案内】 国道375号線「太才町」交差点より西に約300m行った尾関山公園駐車場が用意されている[マップコード244 536 456*24](地図)。
南に行くと庭園がありそこに阿久利姫像が建てられている。
尾関山城跡は尾関山公園として整備され、一般開放されている。
国道向かいに三次浅野氏の菩提寺鳳源寺があり、浅野長治座像や義士堂、阿久利姫(瑶泉院)遺髪塔、浅野長照・長経・長寔の合塔などが安置されている。
また太歳神社手前にある西江寺(三次市三次町1078−3)には、比熊山城主三吉広高や尾関山城主・尾関正勝の墓がある。
【歴史】 天正十九年(1591年)、畠敷の比叡尾山城(ひえびやまじょう)の城主、三吉氏15代新兵衛広高が比熊山城を築城し、南麓を固める為、出城として積山城を築いたと云われる。そして家臣の上里越後守守光に守らせた。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、三吉氏は去り、その後安芸国に入封した福島正則は、重臣尾関石見守正勝に2万石を与え三次城主とした。この尾関氏に因んで尾関山城と呼ばれるようになった。
元和五年(1619年)福島正則は広島城の無断改築をとがめられ改易となり、紀伊国和歌山から浅野長晟(ながあきら)が広島城へ入城した。
寛永九年(1632年)浅野長晟が没して嫡男浅野光晟が家督を継ぐと、長晟の庶長子・浅野長治に五万石が分知され、三次藩を立藩し初代藩主となり尾関山城に入った。
この長治の娘が赤穂藩主浅野内匠頭長矩の正室阿久利姫(瑶泉院)である。
三次藩浅野家は長治、長照、長澄、長経、長寔と5代続いたが、享保五年(1720年)長寔が8歳で夭折したため三次藩は廃藩となった。