尼崎城 (あまがさきじょう) (琴浦城)
最寄地 兵庫県尼崎市北城内27 2014.5.1 2019.4.11
尼崎城 (あまがさきじょう) (琴浦城)
最寄地 兵庫県尼崎市北城内27 2014.5.1 2019.4.11
石垣・中央図書館
復興石垣・土塀
再建4重天守
再建4重天守
土塀内側
尼崎城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 庄下川に面した市立中央図書館(表記番地)の西側、北側に石垣及び土塀が模擬復元され、尼崎城址公園として整備され、一部工事中であった。
本丸跡は尼崎市立文化財収蔵庫(尼崎市南城内10‐2)や市立明城小学校の敷地となって遺構はないが、収蔵庫にある発掘物が閲覧することができる。
今回、天守が再建されたとの報に接し訪れてみた。南側に有料駐車場が設置され、芝生広場の北側に4重天守が復元されていた[マップコード 1 455 465*34]。
平成三十年(2018年)11月30日、3年の歳月をかけて安保詮氏により再建された天守は尼崎市に寄贈され、平成三十一年(2019年)3月29日から一般公開されている。
【歴史】 元和三年(1617年)、膳所(ぜぜ)城より戸田氏鉄(うじかね)が5万石で入封し、戦国時代の城跡に築城した。三重の堀をもち、本丸には四重の天守と三重の櫓が上げられた。
寛永十二年(1635年)戸田氏鉄が大垣城に移封となり、その後青山氏4代、そして正徳元年(1711年)桜井松平忠喬(ただたか)が4万6千石で入り、以後、桜井松平家の支配が7代続き幕末を迎えた。最後の藩主は松平忠興であった。
明治六年(1873年)の廃城令により建物は一部を除き取り壊されたが、明治七年(1874年)、本丸御殿の一部が菩提寺・深正院市内大物町)の本堂として移築されたが、太平洋戦争の戦災に遭い焼失した。