【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 安土桃山時代、豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた淀古城は現在の位置より北へ約500mの位置にあった。
千本通より東に行った妙教寺敷地(表記番地)となっている[マップコード7 251 737*80](地図)。山門の先5mの植込み脇に城址碑が建てられている。
【歴史】 淀古城は戦国時代の初め細川管領家により築城され、薬師寺与一、岩成左通、淀君の居城となった。
豊臣秀吉の子・鶴松死後に捨丸誕生後、養子となっていた豊臣秀次が謀反の疑いを掛けられた際、城主であった木村重玆(しげこれ)が連座となり、廃城とされた。
HOME