大西城 (だいさいじょう) (高麻山城) (たかさやまじょう) (尼子十旗)
最寄地 島根県雲南市加茂町大西647 2016.5.19
大西城 (だいさいじょう) (高麻山城) (たかさやまじょう) (尼子十旗)
最寄地 島根県雲南市加茂町大西647 2016.5.19
登城ルート
登り口・標識
堀切
西の郭
主郭・祠
東の郭
大西城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【案内・感想】 「北大西ふれあい会館」の東約200mに大きな「高麻山城跡入口」の看板があり、北に行った表記番地の右に登り口がある[マップコード134 320 598*01] (地図)。登ってゆくと、堀切があり頂上下に郭が二段になって残る。
標高195mの高麻山(たかさやま)頂上に主郭跡があり、祠に仏像が祀られている。土塁は無い。東側に一段下がって郭があり、堀切、郭、堀切と続き尾根に連なっている。
大西城の登り口を複数の住民に訊いた際、だいさ城と訂正された。とりあえず、「だいさい」とした。
【歴史】 天文年間、鞍掛久光によって築かれた。
尼子氏時代、同氏の重臣大西(だいさい)氏の居城となり、尼子十旗の一つとなった。
天文十二年、大内氏の出雲侵攻に際し、大西高由は尼子氏に従い富田城の防備に着き、宮尾において大内勢を破った。
永禄八年(1565年)、毛利氏の出雲侵攻に際しても、大西高由は尼子氏に従い、富田城塩谷口の守備に当たり、吉川勢の攻撃を凌いだ。
永禄九年(1566年)、富田城は開城し、尼子義久は安芸に幽閉されたが、大西高由もこれに従った。
大西城のその後については不明だが、枡形等が設けられていることから、永禄十二年から元亀二年に掛けての尼子氏残党との戦いの際に、毛利氏により改修されたものと考えられている。