丸子山城 (まるこやまじょう) (多賀谷城)
最寄地 広島県呉市倉橋町松原963 2021.4.16
丸子山城 (まるこやまじょう) (多賀谷城)
最寄地 広島県呉市倉橋町松原963 2021.4.16
登城ルート(緑線は車道)
案内標識
ここから登る
段・主郭切岸
主郭・小屋
多賀谷氏五輪塔
丸子山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 倉橋島の標高408mの火山から南に伸びた標高約48mの台地に築かれている。
一帯は薮化しており、頂上に10m前後の放置された畑と小屋が建てられていた。茨が多く棘に邪魔され、登るのも苦労させられた。北側尾根は物凄い薮で、堀は確認できなかった。
西蓮寺の墓地を清掃されている嫗が居られ、五輪塔を教えて頂いた。
【案内】 倉橋島の南端に位置する旧倉橋小学校(表記番地)北に案内標識があり、その東に駐車できる[マップコード374 076 396*32]。
北に歩き墓地の手前から左に登り直登した。頂上に小屋があり放置された畑となっていた。
西蓮寺(倉橋町松原1011)の墓地中段に「當山内之合墳」墓があり、左に多賀谷興頼他2基の五輪塔が祀られている(地図) 。
【歴史】 築城時期は明らかでないが、伊予北条郷の地頭多賀谷氏の一族が倉橋島に移り、築いたと云われる。
弘治元年(1555年)厳島合戦で毛利元就が陶晴賢を討った後、陶方であった多賀谷興頼・頼重(興基)父子は、毛利氏に討たれ多賀谷氏は滅亡した。