浜の城 (はまのじょう)
最寄地 長崎県島原市新町2丁目103 2019.12.10
浜の城 (はまのじょう)
最寄地 長崎県島原市新町2丁目103 2019.12.10
由来碑・城跡碑
由来文
中央公園
中央公園
浜の城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 明治に島原市立第二小学校用地となり、昭和47年小学校移転後は中央公園となっている。遺構は天災の影響で消滅している。
【案内】 島原市霊丘公民館(表記番地)駐車場が有料で利用できる[マップコード173 719 593*68]。(南からの一方通行路)
西向かいの中央公園の南西隅に「浜の城跡」の石碑が建てられている(地図)。
かっては海に突き出た地形であったが、寛政四年(1792年)の島原大変(地震や普賢岳の噴火)で埋まり現在の地形となった。
【歴史】 築城時期など不明であるが、有馬氏の一族島原氏の居城であった。
戦国時代、有馬氏は貴純・尚鑑・晴純などの活躍で肥前国東半分(現佐賀県)程を勢力下におき、島原氏もその先鋒として転戦した。
しかし、佐賀に龍造寺隆信が勢力を伸ばし、有馬氏の領地は島原半島だけとなった。
永禄六年(1563年)頃、領主島原純茂は、キリスト教の宣教師アルメイダに布教を許し教会をこの周辺に建てさせたと云われる。
天正十二年(1584年)龍造寺隆信は自ら島原へ遠征し、迎え撃つ有馬・島津連合軍と沖田畷で合戦となったが、隆信が戦死し、龍造寺側で戦った島原純茂の子・純豊は城を明け渡し、当地を離れたと云われる。
元和二年(1616年)、有馬氏が延岡城移封となり、代わって領主となった松倉重政は島原城を築くまで、日野江城や浜の城を拠点とした。