秋月城 (あきづきじょう) (市の史跡)
最寄地 徳島県阿波市土成町秋月伊月133 2012.9.8 2014.9.13 2017.12.10
秋月城 (あきづきじょう) (市の史跡)
最寄地 徳島県阿波市土成町秋月伊月133 2012.9.8 2014.9.13 2017.12.10
秋月城跡碑
的場跡・城跡碑
台地上の墓地
秋月歴史公園の模擬櫓
頂上の腰掛
秋月城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 秋月の比高3mほどの丘陵にあり、遺構は切岸が認められる程度で、西側に堀の役目をしたと思われる川が流れている。墓地となっており、的場跡の碑、城址碑が建てられている。
また「奥丸」と云われる山は堀切など無いが、「秋月歴史公園」として整備され模擬櫓が建てられている(地図) 。
住民に聞いたところ、歴史公園の場所は秋月城であったとは聞いた事が無いとの事だった。頂上の腰掛けのある場所に一時期「秋月城天守之址」の石碑が建てられていたが、異論もあり撤去されたそうだ。
【案内】 県道139号の札所十番切幡寺入口交差点の東約850mの自動車屋の北にあり、城跡碑が建てられている[マップコード 160 352 654*31]。その前に1台分の駐車スペースがある。
周辺には「御原の泉」、「的場の跡」「竈跡」などが残っており、一部墓地となり、西に小さな川がある。
阿波市指定の史跡となっている。
【歴史】 古代、秋月郷と呼ばれ、土豪秋月氏が居館を構えていた。
文永年間(1265~75年)守護小笠原氏から世継ぎを迎えたと伝えられている。
正慶二年(1333年)後醍醐天皇の建武の新政により小笠原氏(後の三好氏)に代って阿波国守護となって入国した細川和氏・頼春兄弟が、当地の土豪の秋月氏に迎え入れられ、守護居館を築いた。
管領となった細川頼之の弟で阿波細川家の祖となった詮春(あきはる)の代に守護居城は勝瑞城(約15㎞東・板野郡藍住町勝瑞東勝地176)に移り、秋月中司大輔(森飛騨守)が守ったと言われている。
天正七年(1579年)、長宗我部元親に攻められ落城、廃城となった。