太尾山城 (ふとおやまじょう)
最寄地 滋賀県米原市米原771 2016.10.25
太尾山城 (ふとおやまじょう)
最寄地 滋賀県米原市米原771 2016.10.25
登城ルート(赤色が北城・緑色が南城)
湯谷神社・右が登り口
南城櫓台
北城と南城間の堀切
北城手前の堀切
北城
太尾山城 北城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 尾根筋の樹木の間より米原駅が眼下に望め、交通の要衝を抑える拠点であったことが容易に想像できる。
【案内】 国道8号線「米原駅東口北」交差点より東に300mほど行くと、「湯谷神社」(表記番地)があり、駐車スペースは少ないが早朝のため、神社敷地を利用させてもらった[マップコード101 530 201*04] 。
北に150mほど歩くと青岸寺がある。湯谷神社より城跡を経て青岸寺に至る遊歩道が設けられている。
湯谷神社右より谷に沿って登り、左に大きく曲がって上り詰めると尾根に堀切が残っている。
南(右)へ登ると間もなく、腰郭があり、土塁の南に南城主郭跡(地図)があり、中央に土壇があり櫓台と思われる。南側に土塁がありその下に、堀切が残っている。
一方、北に尾根を伝って200mほど北に行くと、堀切があり、腰郭、虎口を経て北城主郭がある。北側の鉄塔付近に土塁が残っている。
平成十三年(2001年)9月19日、米原市の史跡に指定されている。
【歴史】 鎌倉幕府14代執権・北条高時の時代、正和五年(1316年)に京極髙氏の支城となり、その後京極氏と六角氏の勢力争いが繰り返された境目の城であった。
永禄四年(1561年)六月、浅井長政は、六角氏方の吉田安芸守の守る太尾山城を攻めたが、失敗し引き返した。
元亀三年(1572年)一月、織田信長の兵2万が佐和山城を攻め、次いで朝妻城、太尾城を攻撃し太尾城はついに灰燼に帰した。