多聞城 (たもんじょう) (多聞山城)
所在地 奈良県奈良市法蓮町1416−1 2016.9.2
多聞城 (たもんじょう) (多聞山城)
所在地 奈良県奈良市法蓮町1416−1 2016.9.2
若草中学校門
多聞城供養塔群
城跡碑
若草中学校
堀跡
多聞城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 若草公民館(奈良市川上町575)に駐車場があり、城案内図等資料がある[マップコード11 385 607*32]。北に200m程歩くと若草中学校に着く。
多聞城跡は若草中学校(表記番地)敷地となっている。南石段手前に説明板が建てられ、その先に「多聞城有縁無縁供養」の石塔が集められている。その先に「多聞城跡」の石碑が建てられている。
堀跡とされる道路にグランドをつなぐ橋が架けられている。
【歴史】 永禄二年(1559年)松永久秀が築城開始し、永禄四年(1561年)松永久秀が入城し、永禄七年(1564年)城は完成を見た。
元亀二年(1571年)八月辰市城の合戦では筒井順慶軍に大敗し、久秀の勢力は衰えていった。
天正元年(1573年)末に織田信長への引き渡し後、天正三年三月塙直政が大和守護として入った。しかし、天正四年(1576年)五月直政は討死した。
天正五年(1577年)六月に破壊され、存城期間はわずか16年間だった。
建物や内装は京都二条城に移築され、石材の多くは筒井城に用いられ、更に郡山城にも移された。
天正五年(1577年)十月、久秀は最終的に信貴山城で自害した。