鷹取城 (たかとりじょう)
最寄地 福岡県八女市星野村5219−7 2014.5.9
鷹取城 (たかとりじょう)
最寄地 福岡県八女市星野村5219−7 2014.5.9
登城ルート(緑線は車道)
説明板
城跡南・土塁
曲輪跡・土塁・山頂碑
主郭・土塁
山頂碑
鷹取城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 鷹取山は発心城跡の東に林道を8.3km行った、八女市、久留米市、うきは市の境界に位置する標高802mの鷹取山頂上にある。
県道52号線で「長尾郵便局」(表記番地)の先を北に県道804号線を1㎞ほど行きT字路を北に約6.1km北上する。
「御書塚」標識の先の三叉路を東に右折し4㎞ほど(途中から林道)をゆくと鷹取山の尾根林道に出、東に200m行くと鷹取山南に着く[マップコード166 462 810*53]。
20mほど登れば、城跡である。頂上は「鷹取山頂」碑や三角点があり、由来看板が建てられている。南側に土塁が確認できる。
曲輪は芝地になっており、周囲の絶景が一望できる。東方には空堀の跡とも考えられる遺構もある。
頂上に立つと南東面は緩やかな山なみが星野村へ続き、北西面は急峻な斜面が切れ落ち、その先には悠々たる筑後川の流れを一望できる。
鷹取城は本星野の館や妙見城、延寿寺村の福丸城(うきは市吉井町)の後詰の城として、重要な位置関係にあったと考えられる。
【歴史】 築城のいきさつは不詳であるが、『筑後久留米領郡中古城覚書』に「東西五間・南北十間、星野重種(鎮胤)居城之由申伝ル」とも、『「筑後封植録』に「星野中務大輔吉実(鎮胤)居城」とも記されている。
戦国時代、星野氏は大友氏に従っていたが、耳川の合戦で大友氏が島津氏に敗れると、後に島津氏に属した秋月氏に従った。
天正十四年(1586年)島津氏が北上し立花山城を包囲したが攻めきれず、豊臣秀吉の九州討伐軍が迫ると島津氏は八代へ退いた。
このとき立花山城の押さえとして星野鎮種・鎮元兄弟に高鳥居城を守らせたが、立花宗茂の猛攻を受け落城、星野兄弟は討死したと云われる。