猿岡城 (さるおかじょう) (猿岡山城)
最寄地 和歌山県紀の川市粉河2787 2016.4.25
猿岡城 (さるおかじょう) (猿岡山城)
最寄地 和歌山県紀の川市粉河2787 2016.4.25
登り口
秋葉山公園
城址碑・碑文
粉河寺庭園
猿岡城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道122号線より県道7号線に入り南へ約600m行くと、朱の欄干の橋があり左折して粉河寺(表記番地)に向かう。少々高いが有料(500円)駐車場がある[マップコード106 108 144*00]。
粉河寺は大寺で立派な楼門、山門、本堂があり、粉河寺庭園は国の名勝となっている。
粉河寺より南に登って行くと、比高25mの秋葉山公園として整備され、「猿岡城址」の石碑と説明碑が建てられている。
【歴史】 秋葉山は粉河寺本堂の南にあるため、前山と呼ばれ、山上に猿棚が設けられていたので猿岡山とも称したと記録されている。
天正元年(1573年)粉河寺僧兵たちが、この地に山城を築き各所に切通し、堀などを造って寺防衛に備えたと云われている。
天正十三年(1585年)三月二十四日、粉河寺一山を悉く焼失した。同年八月、羽柴秀長の家臣藤堂高虎が、紀州四国平定の功によって、粉河近辺1万石の領主に封ぜられて入城した。
文禄元年(1592年)朝鮮征伐のため、粉河を去るまでの7年在城した。その間、粉河寺の再建に努めたり、神輿を寄進して粉河祭りを復活し、自ら随兵役を買って出る等、専ら民心の安定に努めたと云われている。
文禄以後再び城主を迎えることはなかったが、明和元年(1764年)に至って、粉河鋳物師等の発起により、火伏の神秋葉三尺大権現社を勧請したので、以後、秋葉山と呼ばれるようになった。『説明碑文』より。