金石城 (かねいしじょう) (厳原城) (いずはらじょう) (国の史跡)
所在地 長崎県対馬市厳原町今屋敷5 2014.5.4
金石城 (かねいしじょう) (厳原城) (いずはらじょう) (国の史跡)
所在地 長崎県対馬市厳原町今屋敷5 2014.5.4
石垣・土塀
復元二重櫓門
復元二重櫓門
金石庭園
万松院
宗氏16代の墓
金石城跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 国道382号線の北約1㎞にある桟原城(さじきばらじょう)と併せて厳原城(いずはらじょう)ともいう。
県立対馬歴史民俗資料館(厳原町今屋敷668−1)が石垣の郭に建てられ、桟原城大手門(高麗門)が移築復元されている。
平成二年(1990年)古写真などに基づき木造の二重櫓門(地図)が復元されている。
城内で発掘調査された心字池を中心とする庭園は平成十九年(2007年)2月6日、国の名勝に指定されている。
西方には宗氏三十六代のうち十六代の墓を守る万松院がある。
平成七年(1995年)3月28日、国の史跡に指定された。
【歴史】 享禄元年(1528年)宗将盛がこの地に築いた金石屋形(かねいしのやかた)を始めとする。
金石城は、清水山の東麓に位置する平城で、宗氏の居城だった。金石屋形を、朝鮮通信使を迎えるために、近世城郭に改築したといわれ、石垣や堀が廻らされたが、天守は築かれなかった。。
万治二年(1659年)の大火で市街とともに焼失し、翌年に宗義真によって城下の再建が行われた。
寛文六年(1665年)に整備・拡張されて以降は金石城と呼ばれた。寛文九年(1669年)に宗義真によって造られた大手口の櫓門を天守の代用とした。
延宝六年(1678年)に新たに桟原城が築かれ、藩庁としての機能は移動した。
文化十年(1813年)に火災で大手門櫓は焼失し、文化十四年(1817年)二重櫓門を再建したが、老朽化により大正八年(1919年)に解体された。