松尾城 (まつおじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県四国中央市中曽根町乙300 2017.12.14
松尾城 (まつおじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県四国中央市中曽根町乙300 2017.12.14
登城ルート
翠波峰 登山口
虎口
階段状の郭
主郭・水波神社
主郭南の堀切・土橋
松尾城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 法皇山脈から北に伸びる標高約307mの尾根に主郭を置き北に階段状に7つの郭が残っている。
主郭には石垣が部分的であるが残っており、土塁の南の尾根には堀切、土橋がよく残っている。
【案内】 国道319号線が松山自動車道を潜ってすぐに案内標識がありその前に駐車スペースがある[マップコード207 455 618*22](地図)。
そこより自動車道に平行して約60m行き大きく右に曲がって道なりに約240m行くと、翠波峰登山口があり標識が建てられている(地図) 。
遊歩道が約1㎞にわたって設けられ、迷う事はない。大小合わせて7つの曲輪が階段状に並んでいる。
最高所の主郭には水波神社が祀られ、標柱、説明板が建てられている。神社の背後に土塁が残り、尾根には堀切・土橋が残っている。
昭和三十七年(1962年)4月1日、四国中央市の史跡に指定された。
【歴史】 戦国時代、真鍋大炊介通周の居城であった。
天正五年(1577年)土佐の長宗我部元親の伊予進出の際、長宗我部氏に従っていた真鍋大炊介通周は、轟城主大西備中守元武兄弟の攻撃を受けたが、本城周辺での激戦の末、敗走させた。
その後、天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国攻めに際し、小早川隆景の侵攻を受け松尾城は落城、廃城となった。