堂木山砦 (どうぎやまとりで)
最寄地 滋賀県長浜市余呉町中之郷1777 2016.10.27
堂木山砦 (どうぎやまとりで)
最寄地 滋賀県長浜市余呉町中之郷1777 2016.10.27
登城ルート(赤色堂木山砦 //緑色は神明山砦)
登り口(電柱の右)
尾根の堀切
縄張り図
主郭土塁
東の郭
東の郭・横堀
堂木山砦跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【感想】 賤ヶ岳砦のボランティアガイドに勧められ登ってみると、なるほど土塁、空堀、虎口、堀切などよく残っていた。
東野山砦と北国街道を挟むように配置された位置にあり、樹木を伐り払われた戦闘前夜なればよく見えたことだろう。柴田軍の南下を防ぐ役割を果たしたことが窺える。
【案内】 堂木山南麓の「余呉斎苑」(表記番地)前に駐車できる[マップコード192 444 611*32] 。田圃のなかの特徴的な建物でよく目立つ。
斎苑より西に行った橋の右手の電柱横に「堂木山・神明山砦跡登り口」の標識がある。
登り口より獣除けフエンスの右側に沿って登ってゆくと尾根堀切に出、右に登ると堂木山砦の尾根に出る。
標高238m比高約90mの堂木山山頂に土塁の残る主郭があり、西と東に夫々郭がある。南側に横堀があり東端に堀切がある。
【歴史】 天正十一年(1583年)俗にいう賤ヶ岳の戦いを前にして、長浜城主柴田勝豊の配下で勝豊とともに秀吉に降り、長浜衆と呼ばれた山路正国、大金藤八郎が布陣した。神明山砦と共に秀吉方の第一防衛線として行市山砦に対峙した。
正国が柴田方へ内応し、行市山砦へ脱出した後、木下半右エ門が入った。