元居城 (もといじょう) (茂藤里城) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市重味304 2016.5.12
元居城 (もといじょう) (茂藤里城) (菊地十八外城)
最寄地 熊本県菊池市重味304 2016.5.12
登城ルート
入口
登り口
2の曲輪
主郭・城趾碑
説明板
元居城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道387号線の交差点に道標があり、 そこより南へ550m行くと神社石段のあるY字路があり、左折する[マップコード175 326 172*44] 。
約450m行った標識のある路肩に駐車できる[マップコード175 297 845*87] 。
左に登って表記番地の横、両側に石垣のある入口(地図: 標識が無く分かりにくい)より200mほど下ってゆくと、「元居城跡→」の標識がある。
登って間もなく、右に竹林となった2の曲輪がある。その曲輪の奥、正面崖の右より登ってゆくと本丸跡に着く。
本丸跡には「元居城趾」の石碑、説明板が建てられ、大正七年に建てられた「祀藤原定直之霊」と刻まれた供養碑がある。
平成二十八年(2016年)4月14日と16日の熊本地震で供養石碑は土台ごと崩れていた。
【歴史】 別名を茂藤里城といい、江戸時代の『菊池風土記』には、菊地氏7代隆定の子伊倉七郎定直の居城と記されている。
『菊池郡誌』には、「其の跡の尋ぬべきものなきも、下部に唐濠(からぼり)とも見るべきものあるのみ」とあるが、登ってくる途中の(曲輪虎口)の左の窪みであると思われる。
豊後方面には掛幕城の予備として、また守山城(菊地本城)には第一線の要地として、重要な役割を担った城と考えられる。『菊池市教育委員会説明板』より。